MEÏ WA KAN

  1. 明   和   館

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MEÏWAKAN AÏKIDO 

ミカエル

 

2010年7月9日の日暮れ前、私の師匠である田村信善師範は自宅で息を引き取りました。田村先生は大先生のもとで内弟子()を11年間した後、フランスに合気道を普及するため瑠美子夫人と共に船を渡り日本からやって来られました。田村先生は合気道を柔道から独立させ、フランスに合気道の実りをもたらしました。



私は田村先生がブルターニュにいた自分に道場に来ても良いと誘ってくださった2002年から亡くなるまでの8年間、周りの嫉妬と羨望の眼差しを背に一杯受けながらこの凝縮した密な時間を田村先生の道場で内弟子として過ごしました。その間も何百人、何千人の人が道場に田村先生の指導を受けに来ましました。




田村先生の亡き後、数多くいた生徒の大部分が段を得るために他の先生のもとに去り、勝手自由な合気道に走り、田村先生の技は今のフランスの合気道では見る影も形もなくなってしまいました。田村先生の技を敬愛する私にとってこれ程痛ましく残念なことはありません。田村先生の技がシンプルである故、習得も困難だったことが理由の一つかも知れません。日本の去る先生が『到達出来ない目標があるから面白い。到達出来た時に自分の成長が分かる』と仰いましたが、私にとって見た目が美しいだけの中身のない合気道は興味がありません。出来ないことがあると知っていることすら知らない人が大勢います。難しい道こそ遣り甲斐があり、またこの道を田村先生も大先生も歩んで来たのだと思います。




師匠を失った後の道のりは平坦ではありませんでした。何故なら全て自分で探さなくてはいけないかったからです。田村先生の今でも昨日のことのように覚えている手の感触を忘れないため、他の先生につくことはしませんでした。合気道を生んだ国、日本に行き田村先生の技に隠された軌跡を追い求め、古武術にも出会いました。数年前から漸く田村先生のやっていたこと、目指していたことが自分の身体で実感出来るようになりました。




田村先生が技の説明をしたことはありません。田村先生自身、大先生から何の説明もされなかったのです。田村先生は1対1で手に手を取って教えくださり、自分に頭でなく身体で学ぶことを覚えさせました。その分時間もかかりましたが、田村先生が言わなかったこと、言いたかったに違いないことも理解できるようになりました。私はこれから合気道を始める人、田村先生の合気道をすでに知っている人、知らない人、全ての人に私が文化の違いを乗り越え学んだことをフランス式に分かりやすく伝えたいと思います。




明和館の『明』は田村先生の教えを明らかに分かりやすく全ての人に伝えるという意味を含んでいます。暗闇で人は迷い、道を失います。明和館は各々の道標です。また和の国、日本、『和』には合気道の精神を象徴する『合』に通じる意味があります。


『和』『合』、調和は自分自身との、他者との、周りとの調和があります。明和館では自分を知ること、人と生きること、これらを全て技として学んでいきます。


明和館の理念のもとにフランスだけでなくアルジェリア、ドイツ、ベルギー、オランダ、エストニア、スペインといった国々の熱心な人達が集まりました。離れていても各々が各自の道場で練習を続け、成長出来るように研修を随時行っています。




内弟子:日本において技を継承するために師匠は弟子を仕事場(道場)に住み込ませ、弟子は師匠から技や規範を学ぶ代わりに、師匠の身の回りの世話や雑用を行い、師匠の行動基準、思考回路、全てを学んだ。現代社会でこの伝統継承システムは失われつつある